厚生労働省が2018年5月に発表した推計では、2020年度に約216万人、2025年度に約245万人の介護職員が必要と示されました。当時、この推計が示した「年間6万人の採用が必須」というメッセージは、介護業界に大きな衝撃を与えました。2026年の現在、その推計がなぜ発表されたのか、その背景と現在への影響を検証し、施設経営の視点から学ぶべき教訓を明示します。
2020年推計が発表された歴史的背景
2018年の第7期介護保険事業計画と人材危機の予兆
2018年4月、第7期介護保険事業計画(2018〜2020年度)がスタートしました。同時期に厚労省が発表したのが、2020年度までに26万人、2025年度までに55万人の介護職員追加確保が必要という推計です。
この推計の発表背景には、以下の事実がありました:
2016年度時点の深刻な状況:介護職員数は190万人で、すでに7万人の不足が存在していました。にもかかわらず、要介護認定者は655万人に達し、高齢者の激増が予測されていました。
2025年問題の迫近:団塊世代が2025年に全員75歳以上となることが確実だったため、介護需要の急増が避けられない状況でした。
労働供給の危機的減少:出生数の低下により、20年後の労働人口が約800万人減少することが確定していました。
つまり、2020年推計は「今このタイミングで対策を開始しないと、2025年以降、取り返しのつかない事態に陥る」という警告だったのです。
当時の有効求人倍率と採用困難の実態
2020年の介護職有効求人倍率は約4倍(3.95〜4.08倍)と、全職業平均1.4倍の約3倍近い水準でした。この倍率が意味するのは、1人の求職者を4つの事業所が争う採用戦争の状態です。
同時に、採用困難を感じている事業所は86.6%に達していました。つまり、10社中9社近くが「人が全く採用できない」という危機感を抱いていたのです。
2026年現在、2020年推計はどの程度現実化したのか
推計と現実の比較検証
2020年推計:2025年度に約245万人必要、55万人不足 現在の実績:2025年度末時点で約215万人、推計に対し約30万人の不達成
当初予測では「毎年6万人の採用が必須」とされていました。実績は毎年1〜2万人程度の採用に止まっており、目標達成率は約20〜30%に過ぎません。
予測の精度検証と乖離の原因
乖離原因1:新型コロナウイルスの影響(2020年3月以降) 推計発表から数ヶ月後に、COVID-19が国内で拡大しました。その結果、外国人材の受け入れが大幅に遅延し、当初想定された特定技能ビザでの外国人採用がほぼ停止しました。
乖離原因2:処遇改善加算の利用率が想定より低い 推計では処遇改善加算の利用率を80%以上と想定していましたが、実際には60〜70%に止まっています。利用可能施設でも申請手続きの複雑さなどから、最大活用されていません。
乖離原因3:離職防止の効果が予測より小さい 推計では離職率の改善を見込んでいましたが、実際には入職後3ヶ月での早期離職率が20%前後で高止まりしており、定着環境の改善が進んでいません。
乖離原因4:多様な人材確保の進捗が遅い 未経験者向け入門的研修の受講者は年間数千人規模で、全国の採用需要から見ると極めて限定的です。
2020年推計から6年で何が変わったのか
予測時には見えなかった課題の顕在化
当時の推計では以下が十分に想定されていませんでした:
訪問介護分野の急速な崩壊 訪問介護の人手不足感は2018年時点で55.2%でしたが、2026年現在は80%を超える地域も報告されています。訪問介護は1人勤務が多く、既存職員の負担が極度に大きいため、連鎖離職が加速しています。
地方における「採用ゼロ」の常態化 都市部では倍率3〜4倍ですが、過疎地では有効求人倍率が7〜8倍に達する地域も存在。実質的には「採用ゼロ」という事態が続いている地域があります。
施設経営の二極化 対策を早期に始めた施設は採用困難の中でも年3〜5人を確保できていますが、対応を遅延させた施設では採用ゼロが続き、既存職員の離職も加速。経営格差が指数関数的に拡大しています。
推計の実現性についての現在地の評価
2020年推計は「必要性」の点では正確でした。しかし「達成可能性」の点では過度に楽観的であった可能性があります。
理由は以下の通りです:
- 外国人材受け入れの現実が想定より遅いこと
- 処遇改善加算の利用促進が予測より困難なこと
- 離職防止施策の効果が限定的であること
つまり、2025年度の245万人必要という数字は正確に見えますが、その到達方法(誰を確保するのか)が大きく狂った状態にあります。
2020年推計から学ぶべき経営的教訓
教訓1:「推計は確実に現実化する」という認識の重要性
2020年推計は、「今から対策を始めなければ、2025年に確実に人手不足に直面する」という警告でした。
実際に、当時対策を始めた施設と始めなかった施設の現在の経営状況は、三者三様です。対策開始が1年遅れるごとに、複利効果により追いつきが困難になることが実証されています。
教訓2:「対策の多元性」の必須性
推計発表当時、多くの施設は「給与を上げれば採用が改善する」と考えていました。しかし6年の実績から、給与改善だけでは不十分で、「給与・労働環境・人間関係」の3点同時改善が必須であることが明確になりました。
教訓3:「地域別カスタマイズ対策の必須性」
2020年推計は全国平均の数字を示していますが、地域ごとの深刻度に100倍以上の開きがあることが、6年の実績から明らかになりました。全国一律の対策では機能せず、地域特性に応じた実装が不可欠です。
2026年から2029年に向けた推計値の見直しと施設の対応
2027年に予定される新たな推計の重要性
2027年には第10期介護保険事業計画に基づく新たな人材推計が発表される予定です。その推計では、2020年推計の未達分がどのように調整されるのか、注視する必要があります。
推計値が上方修正される可能性も、下方修正される可能性もあります。いずれにせよ、施設経営は新推計値に基づいて、3年スパンで対策を組み直す必要があります。
今から実行すべき施設経営戦略
大型施設:2027年の新推計値を待たずに、2026年のうちに2029年目標を設定。採用ペースの倍増(年3人→年6人)と外国人材受け入れ本格化を同時進行。
小規模施設:2026年の現状分析(自施設の離職率、採用困難の具体的理由)を徹底的に実施。その上で、2027年の新推計値発表時に、改めて戦略を構築。
過疎地施設:全国一律の対策で対応不可能であることが明確。地域の複数施設での共同対策(共同研修、人材マッチング、相互応援体制)の構築が急務。
よくある質問(FAQ)
Q1:2020年推計が発表された当時、対策を始めた施設はどのような成果を出していますか?
A:処遇改善加算の利用、業務効率化、採用チャネル多元化に取り組んだ施設は、2026年現在で年採用数が3〜5人まで増加し、利用者数も増加させています。一方、対応を後回しにした施設は採用困難が続き、既存職員の疲弊から離職も加速。6年で経営状況が大きく分かれています。
Q2:2020年推計は下方修正される可能性はありますか?
A:現状のままでは上方修正される可能性が高いです。なぜなら、採用ペースが毎年1〜2万人に止まっており、毎年6万人という目標が達成不可能になりつつあるため、必要数を改めて増やす可能性があります。
Q3:小規模施設が2020年推計に対応するために、今からできることは何ですか?
A:まず、自施設の離職率と採用困難の具体的理由を特定してください。その上で、優先度の高い改善(給与改善、労働環境改善、採用チャネル多元化)から段階的に実施。2027年の新推計値発表時に、新しい目標値に対応した戦略を構築します。
Q4:2020年推計は有効求人倍率4倍という前提でしたが、現在も同じですか?
A:現在も約3.5〜3.9倍で高止まりしており、実際には一層採用が困難になっています。倍率が低下した理由は「求人の減少」ではなく「求職者の更なる減少」です。
Q5:2026年から2029年の3年間で、推計未達分を埋めることは可能ですか?
A:困難ですが、全く不可能ではありません。①処遇改善加算の徹底活用(利用率を100%に近づける)、②既存職員の定着強化(入職後3ヶ月離職率を5%まで低下させる)、③外国人材受け入れの年1000人→年5000人への拡大——これら3つを同時実施すれば、推計の50〜70%は達成可能です。
まとめ
2020年の厚労省推計は、当時の「人材危機の警告」として極めて正確でした。しかし、その後のコロナ禍、施策の進捗の遅れ、地域差の深刻化により、推計値と現実の乖離が拡大しています。
重要なのは「推計を絶対視する」のではなく「推計が示した課題の本質を理解する」ことです。2026年から2029年の3年間で、施設は2020年推計の教訓を踏まえ、自施設の状況に応じた対策を段階的に実装することが、経営継続の鍵となります。
新たな推計値の発表を待つのではなく、今からできる対策から着手してください。その3年が、施設の経営状況を左右します。

